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スイスアルプス博物館展示品リスト
 (1991年7月20日現在)

大壁面

165.jpg(692 byte)  ミューレンから見たユングフラウ、メンヒ、アイガー3山のパノラマ

165.jpg(692 byte)  リーダーアルプから見た大アレッチ氷河のパノラマ

年表コーナー

[壁面]
167.jpg(703 byte)  日本人の主なスイスアルプス登山の記録年表

[ケース内]
167.jpg(703 byte)  グリンデルワルトのホテル・ベルヴューに残る、槙有恒自筆礼状入りの自著「山行」 (グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)

167.jpg(703 byte)  グリンデルワルトのホテル・ベルヴューの宿帳。展示は、高田光政のアイガー北登攀直後の記録を見せている。 (グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)

167.jpg(703 byte)  1967年小西政継のマッターホルン北壁冬期登攀を報道する「サンデー毎日」(小西政継氏寄託)

167.jpg(703 byte)  1978年鴫秋子が冬期マッターホルン北壁を女性として世界で初めて登攀した時の報道写真(鴫秋子氏寄託)

167.jpg(703 byte)  鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使った登山靴(鴫秋子氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使ったザイルとヘルメット

167.jpg(703 byte)  今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使った登山靴(今井通子氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したザック(今井通子氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(今井通子氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したリュックサック(服部満彦氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(服部満彦氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したハーケンとピッケル(服部満彦氏寄贈)

167.jpg(703 byte)  槙有恒使用の門田のピッケル(日本山岳会寄託)

167.jpg(703 byte)  槙有恒使用の鋲皮登山靴(日本山岳会寄託)

167.jpg(703 byte)  槙有恒使用の皮チョッキ(日本山岳会寄託)

    

山案内人の手帳コーナー

 
[写真パネル]
168.jpg(694 byte)  マッターホルンに登頂した秩父宮殿下の一行。先頭から2人目が秩父宮殿下。 イタリア側頂上の十字架が見える。1926年(大正15年)8月31日藤木九三撮影。 (藤木高嶺氏寄贈)    

168.jpg(694 byte)  ヴェッターホルンの秩父宮殿下。左端から秩父宮殿下、フリッツ・アマター、 エミール・ストイリ、ハインリッヒ・フュレル、サムエル・ブランヴァント。撮影は槙有恒, (グリンデルワルト観光局寄贈)   

168.jpg(694 byte)  1921年9月10日、ミッテルレギ尾根経由でアイガー初登頂後。左よりサムエル・ブラヴァント、槙有恒、フリッツ・ストイリ、フリッツ・アマター (グリンデルワルト観光局寄贈)

168.jpg(694 byte)  1953年にグリンデルワルトを訪問された皇太子時代の今上陛下。サムエル・ブラヴァントがベント製のピッケルを贈った。後ろはエミール・ストイリ。 (グリンデルワルト観光局寄贈)

168.jpg(694 byte)  1951年に松方三郎、伊藤愿がサムエル・ブラヴァント夫妻を訪ねた時の写真。伊藤はこのときに、マッターホルンを日本人として初めて単独で登っている。 撮影は島田巽氏。(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)    

168.jpg(694 byte)  1973年当時のグリンデルワルト山岳ガイド組合のメンバー(グリンデルワルト、ハイマート・ミュージアム寄贈)

168.jpg(694 byte)  1926年9月18日、松方三郎、槙有恒、渡辺八郎がオーベルアールヨッホ・ヒュッテの前で撮ったもの(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)   

168.jpg(694 byte)  1925年8月24日、浦松佐美太郎は、サムエル・ブラヴァント、エミール・ストイリと ヴェッターホルン西稜からの初登頂に成功した。
(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)    

168.jpg(694 byte)  1910年8月、日本人として初登頂のユングフラウを登る加賀正太郎。ガイドはヘスラー。   

[山案内人の手帳、ケース内の展示物]
168.jpg(694 byte)  サムエル・ブラヴァントの手帳にあった槙有恒の記録   

168.jpg(694 byte)  フリッツ・ストイリの手帳にあった秩父宮殿下の記録    

168.jpg(694 byte)  フリッツ・アマターの手帳にあった秩父宮殿下と槙有恒の記録     

168.jpg(694 byte)  ベルナルト・ビネルの手帳にあった松方三郎の記録     

168.jpg(694 byte)  サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎と松方三郎の記録   

168.jpg(694 byte)  サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎の記録   

168.jpg(694 byte)  未使用の山案内人の手帳:ドイツ語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈) 

168.jpg(694 byte)  未使用の山案内人の手帳:フランス語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈)     

168.jpg(694 byte)  カンダハーのネクタイを締めてスキーを滑る各務良幸 (1927年ミューレンにて)(各務良幸氏寄託) 

アイガー・コーナー

[壁面展示]
171.jpg(695 byte)  ミッテルレギ小屋の常設ピッケル ベント製で、1924年から1985年まで使用されていた。 ベントのピッケルは、1877年から作られ、現在では、アルフレッド・ベント(グリンデルワルト) がその伝統を受け継いで、ピッケル等の製作を続けている。(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)    

171.jpg(695 byte)  麻ザイル
登山史のはじめから、1950年ころまで使われていたのは、こうした麻製のザイルであった。1960年代からは、さかんにナイロンザイルが使われはじめる。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

171.jpg(695 byte)  カラビナ
カラビナは、ハーケンにかけて、ロープを通すために使うもの。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)  

171.jpg(695 byte)  ハーケン
1930年から1940年頃まで使われたもの。 ハーケンは、岩の割れ目に打ち込んでカラビナとロープを通し、登山の補助と安全を確保するもの。 (グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈) 

[ケース内]
171.jpg(695 byte)  シュタイクアイゼン(アイゼンまたはクランポン)
アルフレッド・ベント製で、1935年以後に作られたもの。アイゼンは、氷河や堅い雪面を歩いたり、氷のついた岩を登るとき靴底に付けて使う。 (グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)  

171.jpg(695 byte)  ルビ製のリュックサック
1960年頃に使われていたもの。こうしたリュックサックは、グリンデルワルト出身のハンス・ルビによって、1940年頃から盛んに作られた。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)  

171.jpg(695 byte)  クレッターシューズ
ごく初期の、岩登り用の靴。非常に軽くて快適なもので、乾いた岩専用に、1930年から1940年頃まで盛んに使われた。
(グリンデワルトのハイマートミュージアム寄贈)  

171.jpg(695 byte)  長谷川恒男が1978年のアイガー北壁冬期単独登攀で使った登山靴 (長谷川恒男氏寄贈)  

171.jpg(695 byte)  今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったスパッツ (今井通子氏寄贈)    

171.jpg(695 byte)  今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったカラビナ
(今井通子氏寄贈)   

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁へ向かった際の今井通子のパスポート(今井通子氏寄贈)  

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁初登攀50年祭の記念バッジ   

[写真パネル]
171.jpg(695 byte)  アイガー北壁初登攀50年周年記念祭(1988年7月24日)に関するパネル展示
   (写真と資料提供・山と渓谷社)  

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁登攀小史    

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁初登攀50周年の石碑の幕を引くヘックマイアー(左)とハーラー   

171.jpg(695 byte)  式典に参加した今井通子氏と加藤滝男氏       

171.jpg(695 byte)  式典に参加した長谷川恒男氏       

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁を見上げるクライネ・シャイデックにある新田次郎の銅版  

171.jpg(695 byte)  アイガー北壁初登攀当時のルート図    

171.jpg(695 byte)  アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山パノラマ     

171.jpg(695 byte)  1969年夏、アイガー北壁登攀の今井通子とその仲間達(今井通子氏寄贈)   

171.jpg(695 byte)  絵はがきは、左から根岸知、今井通子、天野博文、加藤滝男、久保進、加藤保男
  (グリンデルワルト、ハイマートミュージアム寄贈)    

171.jpg(695 byte)  今井通子らアイガー北壁登攀時のスポンサーポスター(今井通子氏寄贈)   

[展示台]
171.jpg(695 byte)  アイガー(3、970m)、ミッテルレギ稜の固定ザイル(1961年から1986年まで使用されたもの)とアイガーの石 (アイガー・ミッテルレギ稜は、1921年9月9/10日、槙有恒、フリッツ・アマター, フリッツ・ストイリ、サムエル・ブラヴァントによって 初登攀された。)(グリンデルワルト・山岳ガイド組合寄贈)  

シュルテスのコーナー(実業之日本社提供)

170.jpg(687 byte)  モン・ブラン   

170.jpg(687 byte)  ザンクトゴットハルト    

170.jpg(687 byte)  アレッチ大氷河      


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