大壁面

ミューレンから見たユングフラウ、メンヒ、アイガー3山のパノラマ

リーダーアルプから見た大アレッチ氷河のパノラマ
年表コーナー
[壁面]

日本人の主なスイスアルプス登山の記録年表
[ケース内]

グリンデルワルトのホテル・ベルヴューに残る、槙有恒自筆礼状入りの自著「山行」
(グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)

グリンデルワルトのホテル・ベルヴューの宿帳。展示は、高田光政のアイガー北登攀直後の記録を見せている。
(グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)

1967年小西政継のマッターホルン北壁冬期登攀を報道する「サンデー毎日」(小西政継氏寄託)

1978年鴫秋子が冬期マッターホルン北壁を女性として世界で初めて登攀した時の報道写真(鴫秋子氏寄託)

鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使った登山靴(鴫秋子氏寄贈)

鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使ったザイルとヘルメット

今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使った登山靴(今井通子氏寄贈)

今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したザック(今井通子氏寄贈)

今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(今井通子氏寄贈)

服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したリュックサック(服部満彦氏寄贈)

服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(服部満彦氏寄贈)

服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したハーケンとピッケル(服部満彦氏寄贈)

槙有恒使用の門田のピッケル(日本山岳会寄託)

槙有恒使用の鋲皮登山靴(日本山岳会寄託)

槙有恒使用の皮チョッキ(日本山岳会寄託)
山案内人の手帳コーナー
[写真パネル]

マッターホルンに登頂した秩父宮殿下の一行。先頭から2人目が秩父宮殿下。
イタリア側頂上の十字架が見える。1926年(大正15年)8月31日藤木九三撮影。
(藤木高嶺氏寄贈)

ヴェッターホルンの秩父宮殿下。左端から秩父宮殿下、フリッツ・アマター、
エミール・ストイリ、ハインリッヒ・フュレル、サムエル・ブランヴァント。撮影は槙有恒, (グリンデルワルト観光局寄贈)

1921年9月10日、ミッテルレギ尾根経由でアイガー初登頂後。左よりサムエル・ブラヴァント、槙有恒、フリッツ・ストイリ、フリッツ・アマター
(グリンデルワルト観光局寄贈)

1953年にグリンデルワルトを訪問された皇太子時代の今上陛下。サムエル・ブラヴァントがベント製のピッケルを贈った。後ろはエミール・ストイリ。
(グリンデルワルト観光局寄贈)

1951年に松方三郎、伊藤愿がサムエル・ブラヴァント夫妻を訪ねた時の写真。伊藤はこのときに、マッターホルンを日本人として初めて単独で登っている。
撮影は島田巽氏。(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)

1973年当時のグリンデルワルト山岳ガイド組合のメンバー(グリンデルワルト、ハイマート・ミュージアム寄贈)

1926年9月18日、松方三郎、槙有恒、渡辺八郎がオーベルアールヨッホ・ヒュッテの前で撮ったもの(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)

1925年8月24日、浦松佐美太郎は、サムエル・ブラヴァント、エミール・ストイリと
ヴェッターホルン西稜からの初登頂に成功した。
(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)

1910年8月、日本人として初登頂のユングフラウを登る加賀正太郎。ガイドはヘスラー。
[山案内人の手帳、ケース内の展示物]

サムエル・ブラヴァントの手帳にあった槙有恒の記録

フリッツ・ストイリの手帳にあった秩父宮殿下の記録

フリッツ・アマターの手帳にあった秩父宮殿下と槙有恒の記録

ベルナルト・ビネルの手帳にあった松方三郎の記録

サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎と松方三郎の記録

サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎の記録

未使用の山案内人の手帳:ドイツ語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈)

未使用の山案内人の手帳:フランス語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈)

カンダハーのネクタイを締めてスキーを滑る各務良幸 (1927年ミューレンにて)(各務良幸氏寄託)
アイガー・コーナー
[壁面展示]

ミッテルレギ小屋の常設ピッケル
ベント製で、1924年から1985年まで使用されていた。
ベントのピッケルは、1877年から作られ、現在では、アルフレッド・ベント(グリンデルワルト)
がその伝統を受け継いで、ピッケル等の製作を続けている。(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

麻ザイル
登山史のはじめから、1950年ころまで使われていたのは、こうした麻製のザイルであった。1960年代からは、さかんにナイロンザイルが使われはじめる。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

カラビナ
カラビナは、ハーケンにかけて、ロープを通すために使うもの。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

ハーケン
1930年から1940年頃まで使われたもの。
ハーケンは、岩の割れ目に打ち込んでカラビナとロープを通し、登山の補助と安全を確保するもの。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
[ケース内]

シュタイクアイゼン(アイゼンまたはクランポン)
アルフレッド・ベント製で、1935年以後に作られたもの。アイゼンは、氷河や堅い雪面を歩いたり、氷のついた岩を登るとき靴底に付けて使う。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

ルビ製のリュックサック
1960年頃に使われていたもの。こうしたリュックサックは、グリンデルワルト出身のハンス・ルビによって、1940年頃から盛んに作られた。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)

クレッターシューズ
ごく初期の、岩登り用の靴。非常に軽くて快適なもので、乾いた岩専用に、1930年から1940年頃まで盛んに使われた。
(グリンデワルトのハイマートミュージアム寄贈)

長谷川恒男が1978年のアイガー北壁冬期単独登攀で使った登山靴
(長谷川恒男氏寄贈)

今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったスパッツ
(今井通子氏寄贈)

今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったカラビナ
(今井通子氏寄贈)

アイガー北壁へ向かった際の今井通子のパスポート(今井通子氏寄贈)

アイガー北壁初登攀50年祭の記念バッジ
[写真パネル]

アイガー北壁初登攀50年周年記念祭(1988年7月24日)に関するパネル展示
(写真と資料提供・山と渓谷社)

アイガー北壁登攀小史

アイガー北壁初登攀50周年の石碑の幕を引くヘックマイアー(左)とハーラー

式典に参加した今井通子氏と加藤滝男氏

式典に参加した長谷川恒男氏

アイガー北壁を見上げるクライネ・シャイデックにある新田次郎の銅版

アイガー北壁初登攀当時のルート図

アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山パノラマ

1969年夏、アイガー北壁登攀の今井通子とその仲間達(今井通子氏寄贈)

絵はがきは、左から根岸知、今井通子、天野博文、加藤滝男、久保進、加藤保男
(グリンデルワルト、ハイマートミュージアム寄贈)

今井通子らアイガー北壁登攀時のスポンサーポスター(今井通子氏寄贈)
[展示台]

アイガー(3、970m)、ミッテルレギ稜の固定ザイル(1961年から1986年まで使用されたもの)とアイガーの石
(アイガー・ミッテルレギ稜は、1921年9月9/10日、槙有恒、フリッツ・アマター, フリッツ・ストイリ、サムエル・ブラヴァントによって
初登攀された。)(グリンデルワルト・山岳ガイド組合寄贈)
シュルテスのコーナー(実業之日本社提供)

モン・ブラン

ザンクトゴットハルト

アレッチ大氷河
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