スイスアルプス博物館展示品リスト
(1991年7月20日現在)
大壁面
ミューレンから見たユングフラウ、メンヒ、アイガー3山のパノラマリーダーアルプから見た大アレッチ氷河のパノラマ
年表コーナー
[壁面]
日本人の主なスイスアルプス登山の記録年表[ケース内]
グリンデルワルトのホテル・ベルヴューに残る、槙有恒自筆礼状入りの自著「山行」 (グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)グリンデルワルトのホテル・ベルヴューの宿帳。展示は、高田光政のアイガー北登攀直後の記録を見せている。 (グリンデルワルト・ホテル・ベルヴュー寄託)
1967年小西政継のマッターホルン北壁冬期登攀を報道する「サンデー毎日」(小西政継氏寄託)
1978年鴫秋子が冬期マッターホルン北壁を女性として世界で初めて登攀した時の報道写真(鴫秋子氏寄託)
鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使った登山靴(鴫秋子氏寄贈)
鴫秋子が1978年のマッターホルン北壁冬期登攀に使ったザイルとヘルメット
今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使った登山靴(今井通子氏寄贈)
今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したザック(今井通子氏寄贈)
今井通子が1967年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(今井通子氏寄贈)
服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したリュックサック(服部満彦氏寄贈)
服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したヘッドランプ(服部満彦氏寄贈)
服部(芳野)満彦が1965年マッターホルン北壁登攀に使用したハーケンとピッケル(服部満彦氏寄贈)
槙有恒使用の門田のピッケル(日本山岳会寄託)
槙有恒使用の鋲皮登山靴(日本山岳会寄託)
槙有恒使用の皮チョッキ(日本山岳会寄託)
山案内人の手帳コーナー
[写真パネル]
マッターホルンに登頂した秩父宮殿下の一行。先頭から2人目が秩父宮殿下。 イタリア側頂上の十字架が見える。1926年(大正15年)8月31日藤木九三撮影。 (藤木高嶺氏寄贈)ヴェッターホルンの秩父宮殿下。左端から秩父宮殿下、フリッツ・アマター、 エミール・ストイリ、ハインリッヒ・フュレル、サムエル・ブランヴァント。撮影は槙有恒, (グリンデルワルト観光局寄贈)
1921年9月10日、ミッテルレギ尾根経由でアイガー初登頂後。左よりサムエル・ブラヴァント、槙有恒、フリッツ・ストイリ、フリッツ・アマター (グリンデルワルト観光局寄贈)
1953年にグリンデルワルトを訪問された皇太子時代の今上陛下。サムエル・ブラヴァントがベント製のピッケルを贈った。後ろはエミール・ストイリ。 (グリンデルワルト観光局寄贈)
1951年に松方三郎、伊藤愿がサムエル・ブラヴァント夫妻を訪ねた時の写真。伊藤はこのときに、マッターホルンを日本人として初めて単独で登っている。 撮影は島田巽氏。(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)
1973年当時のグリンデルワルト山岳ガイド組合のメンバー(グリンデルワルト、ハイマート・ミュージアム寄贈)
1926年9月18日、松方三郎、槙有恒、渡辺八郎がオーベルアールヨッホ・ヒュッテの前で撮ったもの(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)
1925年8月24日、浦松佐美太郎は、サムエル・ブラヴァント、エミール・ストイリと ヴェッターホルン西稜からの初登頂に成功した。
(サムエル・ブラヴァントのアルバムから)
1910年8月、日本人として初登頂のユングフラウを登る加賀正太郎。ガイドはヘスラー。
[山案内人の手帳、ケース内の展示物]
サムエル・ブラヴァントの手帳にあった槙有恒の記録フリッツ・ストイリの手帳にあった秩父宮殿下の記録
フリッツ・アマターの手帳にあった秩父宮殿下と槙有恒の記録
ベルナルト・ビネルの手帳にあった松方三郎の記録
サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎と松方三郎の記録
サムエル・ブラヴァントの手帳にあった浦松佐美太郎の記録
未使用の山案内人の手帳:ドイツ語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈)
未使用の山案内人の手帳:フランス語版(グリンデルワルト観光局を通じ、ベルン州より寄贈)
カンダハーのネクタイを締めてスキーを滑る各務良幸 (1927年ミューレンにて)(各務良幸氏寄託)
アイガー・コーナー
[壁面展示]
ミッテルレギ小屋の常設ピッケル ベント製で、1924年から1985年まで使用されていた。 ベントのピッケルは、1877年から作られ、現在では、アルフレッド・ベント(グリンデルワルト) がその伝統を受け継いで、ピッケル等の製作を続けている。(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)麻ザイル
登山史のはじめから、1950年ころまで使われていたのは、こうした麻製のザイルであった。1960年代からは、さかんにナイロンザイルが使われはじめる。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
カラビナ
カラビナは、ハーケンにかけて、ロープを通すために使うもの。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
ハーケン
1930年から1940年頃まで使われたもの。 ハーケンは、岩の割れ目に打ち込んでカラビナとロープを通し、登山の補助と安全を確保するもの。 (グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
[ケース内]
シュタイクアイゼン(アイゼンまたはクランポン)アルフレッド・ベント製で、1935年以後に作られたもの。アイゼンは、氷河や堅い雪面を歩いたり、氷のついた岩を登るとき靴底に付けて使う。 (グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
ルビ製のリュックサック
1960年頃に使われていたもの。こうしたリュックサックは、グリンデルワルト出身のハンス・ルビによって、1940年頃から盛んに作られた。
(グリンデルワルトのハイマートミュージアム寄贈)
クレッターシューズ
ごく初期の、岩登り用の靴。非常に軽くて快適なもので、乾いた岩専用に、1930年から1940年頃まで盛んに使われた。
(グリンデワルトのハイマートミュージアム寄贈)
長谷川恒男が1978年のアイガー北壁冬期単独登攀で使った登山靴 (長谷川恒男氏寄贈)
今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったスパッツ (今井通子氏寄贈)
今井通子が1969年のアイガー北壁登攀に使ったカラビナ
(今井通子氏寄贈)
アイガー北壁へ向かった際の今井通子のパスポート(今井通子氏寄贈)
アイガー北壁初登攀50年祭の記念バッジ
[写真パネル]
アイガー北壁初登攀50年周年記念祭(1988年7月24日)に関するパネル展示(写真と資料提供・山と渓谷社)
アイガー北壁登攀小史
アイガー北壁初登攀50周年の石碑の幕を引くヘックマイアー(左)とハーラー
式典に参加した今井通子氏と加藤滝男氏
式典に参加した長谷川恒男氏
アイガー北壁を見上げるクライネ・シャイデックにある新田次郎の銅版
アイガー北壁初登攀当時のルート図
アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山パノラマ
1969年夏、アイガー北壁登攀の今井通子とその仲間達(今井通子氏寄贈)
絵はがきは、左から根岸知、今井通子、天野博文、加藤滝男、久保進、加藤保男
(グリンデルワルト、ハイマートミュージアム寄贈)
今井通子らアイガー北壁登攀時のスポンサーポスター(今井通子氏寄贈)
[展示台]
アイガー(3、970m)、ミッテルレギ稜の固定ザイル(1961年から1986年まで使用されたもの)とアイガーの石 (アイガー・ミッテルレギ稜は、1921年9月9/10日、槙有恒、フリッツ・アマター, フリッツ・ストイリ、サムエル・ブラヴァントによって 初登攀された。)(グリンデルワルト・山岳ガイド組合寄贈)シュルテスのコーナー(実業之日本社提供)
モン・ブランザンクトゴットハルト
アレッチ大氷河
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